愛のツインふれーむわーくの創造

今までの自分から元の自分に戻る為、ハートのままに書いていきます。

今日の記録

感じるという事。

 

最近、自分の在り方を探していて、

 

日々の小さなことを感じてみようと思いいたる。

 

よくよく考えてみたら、

 

仕事をしていた時、

頭では、あれをしてこれをして、まずこれに取り組んで、

今日はあれが途中でくるから準備して・・・とか、

今日はほぼ集中できるな、とか、

作業に対しての方法ばかり考えていた事に気づく。

 

この作業は面白いとか、

これをやっている自分すごいとか、

ひとつひとつの行動に対して、

私は何にも感じていなかった事に気づいた。

 

元々から人より自分の気持ちに気づきにくく、

また、何を感じているのかも気づきにくいため、

大きな負荷がかかって、身体に症状が出ないと、

しんどいと感じている、

嫌だと思っている、という事に気づかない。

 

そう、作業中って、ほぼ頭しか動いていなかった。

 

そのため、言葉に対してのイメージばかりが膨れ上がり、

体験としての感覚がほぼなかった。

 

例えば『仕事』という言葉。

当時は、かっこいい言葉だと思っていた。

そして、なんでもかんでも都合の悪い時の理由に使える

便利な言葉だとも思っていた。

仕事だから、仕事で忙しいから、仕事ではこうやるから・・・

 

仕事って、他の行動よりも、

何故か格段に上のことをやっているというイメージがあり、

逃げる口実によく使える。

 

そして仕事をしていなければ、

とたんに何かがなくなったような、

ただのダメ人間になってしまうようなイメージもあった。

 

でも、仕事をしている自分の感覚はどうだっただろう。

 

 

作業内容しか考えていなかったと思う。

 

当時の私は仕事をしていた時、どんな感覚だったのだろう。

 

あれがきたら嫌だ→失敗するのが嫌だから対策をとる

たぶんこれを知りたいだろう→報告しておこう

 

この文章で伝わるのか分からないけど、

そういう風に行動をしている自分は、楽しかったのだろうか・・・。

人と相談している時は楽しかったのを覚えているけども・・。

 

行動をしている事に対して楽しいというより、

行動をして、行動をした自分が「こんな風にやったよ!」「こういう考えでやってる」

という風に会話できる事が楽しかったような気がする。

 

うん。そうだそうだ。

 

自分の行っている事に対しての喜びというより、

それを完了したことで話せる会話が楽しかったのだ。

 

 

だから、

 

自分の行っている事を人に話す必要がなく、

雑談すらもなく、

ただもくもくと、

作業だけが続く仕事は、続かなかったのかもしれない。

 

何だかそんな気がした。